2018.12.22
メッセージアプリの通知がベッドに寝転ぶ僕を呼ぶ。
アプリに並ぶ文字を通じて、真人さんが僕を呼んでいる。
『じゅんぺー』
『欲しいもの決まった?』
『早く決めてくれないと、クリスマス終わっちゃうよ』
明後日はクリスマスイブなのに、僕は真人さんから“もらいたいもの”を決められずにいた。
『すみません』
『真人さんと一緒に過ごせることが既にプレゼントなので……』
人間の祭事を知りたいのならと、駄目元で誘った僕の家でのクリスマスイブ。建前と下心のギャップが相当面白かったのか、真人さんは大笑いしながら誘いに乗ってくれた。それが十二月に入ってすぐの事だったから、かれこれ二十日以上は悩んでいる計算になる。
『えー』
『それ昨日も聞いた!』
種の価値観の違いで想像がつかなかったから、というのも嘘じゃないけれど。
何度も送ったメッセージの方が僕の本心に一番近い。年々冷めた目で色褪せていく一日に、幼い日に映っていた色以上の彩をくれたのは真人さんなのだから。
『しょうがない』
『順平のお母さんに相談しよ!』
『ばいばーい!』
ネットワーク越しのやり取りで魂が見えない分、文字で詳しく伝えようとして見事に失敗した。
行動の速さに関しては真人さんに勝てた例がほとんど無い。『ばいばーい!』の『!』を入力した後、きっともう母さんの携帯に相談のメッセージか通話を…………
「あれ?」
真人さん、母さん、連絡先交換してたの!? いつ!? 僕、全然聞いてない!!
「まって、真人さん待って」
制止のメッセージに既読はつかない。
慌ててベッドから降りて部屋を出ると、母さんの携帯の着信音が聞こえた。
2018.12.24
洋菓子店で予約していたケーキを受け取る。
オーソドックスな苺ショートのホールケーキは、冬の数日を彩るモチーフで飾られていた。
去年は二日かけて平らげたクリスマスケーキも、今年は一日で無くなるかもしれない。
なぜならば――
食器と水で賑やかなシンクより、もっと賑やかなのは晩酌中の母さんの笑い声。そして、母さんに付き合って話を盛り上げる真人さんの声だ。
(まさか、僕が彼女と……でいいのかな……好きなひとと一緒にクリスマスを迎えているなんて)
真人さんを招いて囲んだ食卓の名残りを洗い流しながら、ひとつひとつに想いを馳せる。
真人さんとふたりで作ったメインディッシュが乗った大皿。お酒の進んだ母さんがモノボケに使おうとしたグラス。滅多に食器棚から出てこないレアなケーキ皿には、崩れないように大事に運んできた苺ショートが乗っていた。
(来年はどんなケーキが乗るんだろう)
もしかすると、皿の出番は無いかもしれない。
真人さんが家を訪ねない関係になっているとか、違う場所でクリスマスの夕食時を過ごしているとか――悲観と楽観の未来予想を繰り返して、両方とも振り払おうと軽く首を横に振る。
今を今として生きないと。
(真人さんの“生まれて初めての冬”は一度きりだから)
一秒でも長く、あの声が響く中へ。
次々と過去になっていくこの瞬間を刻もうと、僕は流れ落ちる水を止めた。
2018.12.25
大晦日の話をする親子とすれ違ったのを最後に、道は僕と真人さんだけになった。
遮る物も人も無い道すがら、吹き抜ける冷たい風を母さんからのプレゼント――真新しいマフラーが受け止める。寒さと午後の陽射しに目を細めれば、一歩半先で色違いのマフラーに包まれ帰路につく真人さんの後姿が見えた。
「順平」
ポニーテールが揺れて真人さんが振り返り――
「好き」
たった二文字が、たった二音が、魂に突き刺さる。
「メリークリスマスってやつさ」
冗談めかした唇から零れる真っ直ぐな音が、意識の奥に追いやっていた僕の欲を引きずり出す。
呪いと人間なのだからと言い聞かせて、知らないふりをしていたモノ。
校舎裏で『好きです』と伝えて数ヵ月。真人さんから『好き』って言われたこと、そういえば、無かったっけ。
「解ってる。これは君が欲しがってる『好き』じゃない。中身の無い虚しい『好き』だけど、それでも持っていて」
いつの間にか一歩半を縮めた真人さんが僕の両手を包み込む。まるで贈り物を手渡すみたいに。
「例えるなら……クリスマスの夜に吊るされた空っぽの靴下、かな? いい子にしてたら、サンタが順平の欲しいものを詰め込んでくれるかもね」
頬に触れた真人さんの唇は冬の温度だったのに、僕の魂は春より暖かく、顔は夏より熱くなる。
代謝を秋の紅葉に例えて笑う真人さんに、来年の同じ日を想わずにはいられなかった。
2018.12.31
まだこんな場所があったのか。
真人さんに導かれて辿り着いた除夜詣の目的地は、住宅街の端にぽつんと佇む寂れた社だった。
ずっと昔からある様子なのに近隣住民が避けて通るのは、呪霊が好む負の畏れに満ちているからだろう。真人さん曰く、花御さんと似た生まれ方をした呪霊がここを仕切っているらしい。
「ほら、順平。呪っていこう」
呪いの棲み処なら、相応しい呪いを。祈りの形で合わせた掌の内側に精一杯の呪いを込める。
残したままの傷痕の疼き。完璧には至らなかったけれど、確かに味わえた復讐の悦び。呪えたからこそ真人さんと澱月と――虎杖君に逢わせてくれた。唯一それだけは、お前達に感謝してやる。
「もし真人さんにも願い事があるとしたら、それは何に願えばいいんだろう」
静かに離れた掌に、無意識に言葉が零れ落ちた。
「私は呪うことしか出来ないよ」
「あ……すみません。もしもの話で、ありえない話ですよ。真人さんは何でも自分の力で実現してしまいますから」
慌ててもう一つの無意識を言葉に変える。
「ふふ、そうかもしれない。でもね……ふとした瞬間に感じて、つい考えちゃうんだ。私と君が冬を生きて次の年に生きつくなんて、私だけじゃ実現しなかったんじゃないかって。まるで、誰かの掌の上や、世界がみている夢の中に生きているみたいだ、って」
掌を合わせたまま、真人さんが僕に微笑んだ。
瞬間、魂が捩れ軋むような――体中に走る幽かな痛みで、目の奥が熱くなって夜の輪郭が滲む。
「なんで……なんで、僕と同じこと考えてるんですか」
真人さんに全部解ってしまうと分かっていても。
「――除夜の鐘、ここから聴こえるかな」
瞬きで涙を無かった事にして、そうして何事も無かったかのように振る舞った。
2019.1.1
日付と年が変わる瞬間を、僕と真人さんは空中で迎えた。
微妙にズレた真人さんの人間知識と、やりたいとねだる可愛い圧に完全敗北した僕は、繋いだ手を高く掲げて2018年と2019年の境目を飛び越えたんだ。
「人間の祭事、どうでした?」
「順平の下心、満足した?」
僕は照れ隠しで。真人さんは――多分、面白さで。着地してしばらく笑いあって、互いに問いを重ね合わせる。
「見ての通りです。満足に決まってるじゃないですか」
「私も。好奇心が満たされていくのが楽しかったよ」
真人さんは繋いだ手をそのままに、空いたもう片方の手で満たされたものを指折り数えた。
前日の特撮番組に影響されて、クリスマスに似合いそうなシャケ料理を一緒に作った事。中身はいつものショートケーキなのに、サンタの飾りとチョコプレートを貰ったら少し味が変わって感じた事。例の六時間に“あえてのZ級サメ映画六時間耐久鑑賞会”をした事。紅白歌合戦で新しいお気に入りの曲を見つけた事。母さんが奮発した年越しそばが、カップ麺や学食の蕎麦と違ってびっくりした事。除夜の鐘が百八回鳴り、除夜詣が元日詣になった事。
「人間が馬鹿騒ぎするほど影が深くなって、どこもかしこも空気が心地よかったし。それから……それから」
すらすらと並べられていた言葉がぴたりと止まる。
過去のストックが切れたわけじゃなさそうだ。声に乗せる言葉を変えるタイミングが急にやって来ただけだと思う。だから僕は心配なんかしない。心配するより、変わる言葉を信じてる。
「変なの。満たされたと思ったら、また足りなくなっちゃった」
「足りない、ですか。例えば?」
「んー……『お正月の着物って浴衣とどう違うんだろう』。『春は芽吹きの季節だから花御は嬉しいかな』。『夏の海水浴場に陀艮と突撃したら面白いだろうな』。『紅葉で山が染まった時の漏瑚君の感想聞いてなかったっけ』とか。あとは『次のクリスマスは丸太の形のケーキ食べたい』!」
「なるほど。来年――あ、もう今年か。今年やりたい事や知りたい事が増えたんですね。真人さんが自覚していないだけで、他にもたくさんあるかもしれませんよ」
「なーんだ。順平よりも欲張りになっちゃったってわけか」
真人さんが腕を前後に振る動作に、僕の片腕もゆらゆら揺れる。繋いだままの手から、『人間が欲張りだから』という諦めと納得が混ざりあった揺れる代謝を感じるような……と、自惚れを口にしたら真人さんは呆れるだろう。なら、僕が声にすべき最適解はこれだ。
「じゃあ、まずは着物から知りたい事を埋めていきましょう。母さん、真人さんに着せたい着物選んで待ってますよ」
「うん。思いっきり可愛く着飾って、祈りの皮を被った呪いをたっぷり祝ってやらなくちゃ。人の呪いとして、ね!」
初詣に向けて、僕達は呪いの社を後にする。
人と呪いが歪に共存する“この世界”が迎えた、新たな年を祝福しながら。