je(we)l(-l)yfish

▥ 縦書きで読む

 ここは、人と呪いが仲良く呪い合いケンカする都合のいい平行世界――

 吉野家のキッチンにて、暇を持て余した真人が台所探検の末にお宝を発見したらしい。
「宝石みたいな食べ物があったよ」
「宝石?」
 順平の視界に突然入り込んできた物は冷菓。お手軽簡単、混ぜて冷やすだけのゼリーの素。
 完成イメージを大きくあしらったありきたりなパッケージも、真人の言葉を通すだけで順平には途端に煌めいて見えた。スーパーでベテラン店員の圧に負けて買ってしまった、季節外れの――七夕限定の――見切り品だったとしても。
 運命的な何かを感じずにはいられなかった。
 その透明な水色の煌めきは、順平の隣に漂う式神によく似ていたのだから。
「澱月の色だ」


 料理用の敷き紙クッキングシートの上に白と黒檀で小さな丸が描かれていく。
「ほら、澱月の眼だよ。似てるといいんだけど」
 クラゲの式神澱月は、チョコレートが付いた相棒の指の先で弾んでみせた。ゼリーで澱月を再現しようと、厳しい残暑の中コンビニまで走り、慣れない製菓に挑む順平あいぼうの姿が嬉しいのだろう。
 一方、真人はスマートフォンに映る料理動画と手元のシートを交互に眺めていた。
 そこには、順平の作ったチョコレートの眼よりも不格好な丸が並んでいる。己の興味に忠実に、生まれて初めて“ただの料理”に挑んだ真人の最初の成果だ。
「魂の形変える方が楽ー!」
「初めての料理、面白くなかった……ですか?」
「いいや、面白いよ。本によく書かれているから興味あったんだ。人間が人間を書く以上、程度の差はあれ、その営みは必ず描かれるものだからさ」
 肉体を生かす糧としても、魂を満たす娯楽としても、と。不格好な眼に初心者特権で目を瞑り、次なる成果を求め、真人は冷蔵庫の扉に手をかける。海の色に溶けた宝石の素が、海を漂う命を模した形になるのを待っているはずだ。


 果たして、真人が宝石と例えた食物は式神によく似た姿になった――一皿を除いて。
「最初は何事も不格好なもの。だよね、順平?」
「そ、そうですね……」
「どの道、食べる時に崩れる形なんだ。今崩れていたって同じだよ」
 真人がつついたガラスの器の中で、半分崩れたゼリーが揺れる。その拍子に少しだけチョコレートの眼がずれた。真人作の澱月ゼリーは、料理初心者らしい味のある出来栄えだ。
「順平はいつ食べるの」
「一つは真人さんと一緒に、今。残りは後で母さんと」
 一番綺麗に出来たゼリーを冷蔵庫の特等席に仕舞い込み、順平は真人の向かい側の席に座った。初めて挑んだ料理を初めて口にする真人が、隣に座るよりもずっとよく見える場所に。
(僕だけが知る真人さんの姿かもしれないから)
 動画に残せない呪いの姿は、記憶に焼き付けるしかない。
 特別な相手の特別な瞬間を待つという行為は、心臓の鼓動だけでなく、魂の代謝も早鐘を打つらしい。順平からよく見えるのなら、当然、真人からもよく見える。更なる代謝を引き出す好機を真人は見逃さなかった。
「君はこの料理、どっちだと思う? 肉体を満たす物? 魂を満たす物?」
「後者だと思います」
「なるほどね――じゃあ、アレやってみようよ。『はい、あーん』ってやつ」
「なっ……! どうしてそうなるんですか!?」
「魂を満たすんだろ? 誰とどう食べるかも関わってる事くらい、俺だって知ってる」
「そんな、恋び……いや……食べさせてもらうほど子供じゃないですし……」
「だったら、俺が順平に『あーん』もらおうかなー。ほら、俺って生まれたてだしー?」
「うう……」
 よく揺れてころころ変わる代謝の末に、順平は結局、互いに食べさせあう案で首を縦に振る。
 うまく翻弄できたと満足気な真人が崩れたゼリーを掬い、順平の口に運ぼうとしたその瞬間――真人の後頭部に澱月が激突した。
『……!!』
「わっ!?」
「澱月!?」
 順平が命じた覚えなど無い、澱月の体当たり。幸いにもゼリーはスプーンから零れることはなかったが、真人の翻弄に水が差された。
「えっ、なになに」
「突然でよく解かりませんが……抗議でしょうか」
「俺の初心者クオリティが不満とか?」
 体当たりの後もぐいぐいと押し続ける澱月をいなし、真人は一度スプーンを置いた。代わりに軽く身を乗り出して、無邪気で無防備に開かれた己の口へと綺麗なゼリーを一口ねだる。
「順平のだったら抗議されないんじゃない? 次は君のでやってみてよ。ほら、あーん!」
「は、はい……! いきますよ……!」
『……!!』
 順平が緊張する手でスプーンを入れる前に、澱月は既に動いていた。順平と真人の顔の間に自らの体を割り込ませ、表情無くとも意思を表し浮かんでいる。
「…………」
「…………」
 驚きと思考が齎した数秒の無言。
 最初に沈黙を抜け出したのは、やはり、澱月の使役者あいぼうたる順平であった。
「もしかして、ですけど。僕達が親密に見える行動をとるのが嫌なのかもしれない」
「ああ、ヤキモチ? 澱月、随分懐いてきたからねー」
 そうだそうだ、と言うように順平の頭上に移動した澱月を目で追って、真人はそのまま澱月と視線を合わせる。火花は散っていない。多分、おそらく、きっと。
「俺がいなかったら、君は順平の式神になれなかったんだよ。だからさ、邪魔するのはどうかと思うなー?」
『…………』
 バチン、と澱月の触手が真人の額を叩く。人間でいうところのデコピンなる攻撃方法だ。
「今度は触手かよ!」
「あはは……食べさせ合うのは難しいので、自分の分は自分で食べましょうか」
「しょうがないなぁ」
 痛くもない一撃を大袈裟にさすりながら、真人は順平の「いただきます」の声を耳に、もう一度スプーンにゼリーの欠片を乗せた。


 斯くして、目にも涼しい澱月ゼリーが漸くふたりの口に入ることとなった。
 真人には生まれて初めて知る一口が、順平には日常と非日常の挟間の一口が。クラゲの形をしたやわらかな宝石は、それぞれの口の中で砕けて溶けて、確かに魂を満たして消えた。
「冷たくて柔らかい宝石、か。良い閃きの源になってくれそうだ」
「よかった。料理の経験も何かに役立つといいですね」
 二口三口と食べ進めていくと、順平とテーブルの間で大人しく食を見守っていた澱月が、ふと、ふわりと上昇した。下降地点は器の側で、下りるやいなや食べかけのゼリーと順平の顔を交互に眺めている。
「どうしたの、澱月」
『…………』
 自分を模した料理は楽しかったか。その味は美味なのだろうか。
 声も表情も持たなくとも、過ごした時は短くとも、伝わる繋がりを信じて澱月は浮かんでいた。そして、名の中の天体は人と式神の間を照らし示し、順平は澱月の意思へと真っ直ぐに辿り着く。
「もちろん。楽しかったし、美味しいに決まってる。澱月の形で作ったから、特別に!」
『……! ……! ……♪』
 自分は嬉しい、と、澱月が躍る。
 途中で真人に遠回しの感謝を表しちょっかいをかけながら、午後の陽射しの中で透明な月が耀く。
 スプーンの上で揺れるゼリー越しに見る我が家は、水族館よりも非日常に揺らめいて、特別な存在だけを映し煌めいてる。
(ああ、美味しくて楽しくて……綺麗だなあ)
 唇に触れる夏の名残り――一匙のラムネ味は、海と月明かりを閉じ込めた宝石であった。

Feb 2023 - 修正 / 改稿